水子供養
このページをご覧になっている方は、
きっと、今ご自身の心に抱えていらっしゃる悲しみと、
どう向き合えばよいのか憂いに沈んでいらっしゃるのだと思います。
一度ご自身の体に宿った命とお別れするまでの月日には、
幸せや希望、苦しみや悩み、いろいろな気持ちを
お腹の中のお子様と過ごされたことと思います。
そして、お別れしたことによってご自身の心には、
なにものにも埋められない大きな穴がぽっかりと空き、
自分の体の中に宿っていた命だからこそ抱える、
言葉にはできない想いを感じてらっしゃるのではないでしょうか。
虚無感や悲しみや後悔など、深く暗い感情とどう向き合っていけばよいのか、
苦しまれておられる方も多いかと思います。
そしてパートナーの方やご家族の方も、
ご自身と、そして失われた小さな命と母の悲しみを抱え、
傷心されていることと思います。
しかしながら、その悲しみ苦しみは、
お別れするまでに過ごした月日を大切に思われていた証です。
どのような過程や結末であったにせよ、
お腹の中にいたお子様に深い愛情を注いでいたから悲しみを感じるのです。
どうかその大きな悲しみを、
お子様への深い愛情を表す想いや言葉に変え、
水子となられたお子様へその愛情を捧げてください。
「いつまでも一緒だよ」
「大好きだよ」
「たくさんの幸せをありがとう」
「私を成長させてくれてありがとう」
と、悲しみを感じるほどに深く愛したその気持ちを
お子様にお伝えください。
それがお子様への供養となります。
そして何より、現世に生きるお母さんやパートナーやご家族の方々が、
前を向き、明日を生きることが大切です。
きっと水子となられたお子様もそれを望んでいます。
「無償の愛」と聞くと親から子へ注がれる愛情を思い浮かべやすいですが、
たとえどんな親でも慕い続けてくれる子供こそ
「無償の愛」を体現している存在だと感じます。
きっと水子となられたお子様も、
お母さんやお父さん、家族の幸せを願っています。
お地蔵さまと水子供養
元来、日本の仏教は、仏教が伝わる以前より人々に信仰されていた自然やそれにまつわる神
そして土着の風習など民間信仰・民俗文化と結びついて、日本独自に発展し、人々の心に寄り添ってきました。
中でも「お地蔵さま」は、そこここの道端に立ち、あの世とこの世を見守る、
最も私たちの生活の中に溶け込んでいる身近な仏様と言えます。
「地蔵」という名前は、サンスクリット語でクシティ・ガルバと言い
クシティ=「地」=「大地」
ガルバ =「蔵」=「胎内、子宮」
という意味があり「大地の母胎」を意味しています。
大地が全ての命を生み育む力を蔵するように、
その無限の大慈悲の心で苦悩の人々を包み込み、救う所から名付けられたとされています。
お地蔵さまは六道全ての人々をあらゆる苦しみから救おうと決心された菩薩様で、
特に最も弱い立場の人々を最優先で救済してくださるとも言われています。
水子となった子供たちは、泣きながら賽の河原で石を積み上げては鬼に崩され、苦しみの中にいると言われています。
鬼たちに苦しめられているそのか弱い水子の子供たちをそこから救い、成仏へと導いてくださる仏さまとして信仰されてきました。
お地蔵さまと真言宗
大日如来
真言宗では、仏や菩薩などは、
さとりを開いたり、さとりを求める「人」ではなく、
宇宙(法界)の真理そのもの「法」を意味しています。
その「法」を身体的イメージとしてとらえられているのが仏や菩薩です。
真言宗の本尊である「大日如来」は「宇宙の真理そのもの」であり、
全ての仏さまは大日如来より生まれ、大日如来の徳をそれぞれが分担し、
またその働きも大日如来の徳の顕現であると説かれています。
つまり、真言宗の教えでは、
観音様も阿弥陀様もお地蔵様もすべての仏さまは、
大日如来の慈悲や智慧の働きを伝えるために、大日如来が姿形を変えたものである、
ということで、真言宗ではお寺ごとに様々な仏さまが祀られています。
古くから水子さんを救ってくれると信仰されてきたお地蔵さまが真言宗のお寺で多く祀られているのもそのためです。
お地蔵さまと持明院
生命の尊厳や霊に対してあまりにも無関心な現状を深く憂い、供養をおろそかにしての真の「生命尊重」はありえないこと、
また生きとし生けるものの悩み苦しみが少しでも軽くなればとの願いから
昭和52年(1977年)に多くの方の御寄進を得て建立されました。
個別での水子供養のほか、、毎月24日のお地蔵様の縁日には、11時より護摩を焚き、お参りされた方々の水子供養を行っております。
(詳しくは年間行事または法事・水子供養・祈願をご覧ください。)