寺の日々、あれこれ

原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要

2020/08/08

こんにちは。持明院の寺嫁です。

8月6日午前8時15分
半鐘を打ち鳴らし、原爆投下や戦災によって亡くなられた物故者に黙とうを捧げ、慰霊法要を執り行いました。




持明院は、戸坂に移転する前は平和公園前の現・中島町にありました。

 

そこは爆心地から500m。

 

第17世公龍和尚(当時住職)は1945年8月6日の朝、原爆の犠牲となりました。


第18世公宣和尚は当時二十歳頃。

兵役のため広島から離れていたため被爆は免れましたが、広島に戻ってみるとそこは一面焼け野原。お寺も全焼し、すべてを失いました。

今残るものは手水鉢のみです。

持明院の歴史を物語る唯一のもの。側面には寄進された年号「天保十年己亥」(1839年)ならびに当山第十四世の名と寄進者「周防下松、中村屋武兵衛、願主、若狭屋甚三郎」の名が刻まれている

 


変わり果てた市内。
失った帰る場所。

 

突然全てを失い、自分の身一つのみとなったと悟ったその時の心情、いかばかりか想像を絶します。

 

 

その後、復興中にお寺の境内で多くの遺骨が見つかります。

建物疎開の為、動員され原爆の犠牲となった旧広島市立高等女学校の先生と生徒さん達のものでした。
その数679名。
持明院にて安置・供養を行いました。

 

 

 

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現在の持明院の御本尊様は聖観音菩薩様です。


これは原爆で御本尊様をはじめすべてを失った持明院に、広島市立高等女学校の先生生徒の遺族の方々が奉納して下さったものです。
犠牲となられた先生生徒の御霊が聖観世音菩薩の大慈大悲に包まれ「永遠に安らかに」との願いが込められています。

またこのようなご縁で境内に追悼碑が建立されています。

 


戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、

平凡な生活の中に起きた現実であり、

決して過去の出来事として忘れ去ってはならない

 

 

8月6日、原爆犠牲者の遺族の方々より奉納された御本尊様を拝むたびに、静かに深く、そう語りかけられるようです。

 

 

 

 

───── お知らせ  ─────

 

毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。

11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。

お気軽にお参りください。

 

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