投稿者「jimyouin.24」のアーカイブ
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
12月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
今月の一言を更新しました。
今日こそは
愚痴を言うまい
語るまい
ただ有り難く
過ごす喜び
人間は誰しも人に言えぬ苦労があるもの。
愚痴の一つも言いたくなりますが
言ってもどうにもならないのが愚痴。
いろいろな苦難の中にあっても
今このように生かされていることに感謝出来る自分でありたいものです。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
11月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
実るには
天地の恵み
人の精進
秋は収穫の季節。
春に種をまくと天からの雨と太陽の日差しを浴び、大地からの養分を吸って、秋には豊かに実り、私たちの糧となります。
ただその陰には、葉や実を食べられるよう害虫から守り、いらぬところに養分が行かぬようせっせと草取りをしてくれる人たちがいることを忘れてはなりません。
私たちも成長するには、家族や周りの人たちの支えと、自分の精進努力が必要です。
そしてくれぐれも感謝(おかげさん)の気持ちを忘れぬように...
今月の一言を更新しました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
10月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
2022年 秋季彼岸地蔵尊大祭を行いました。
2022年 秋季彼岸地蔵尊大祭を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2022年9月23日午前11時から、本堂において秋季彼岸地蔵尊大祭を執り行いました。
19日にはとても大きな台風が日本列島を横断するとのことで心配していましたが、広島市内には大きな被害もなく、当日は爽やかな良い天気に恵まれ、多くの方がお墓参りにいらっしゃっておりました。
多くの供養・祈願のお申し込みを賜り、皆様方に代わりまして御本尊「観音さま」ならびに「お地蔵さま」に心よりご供養・ご祈願させていただきました。
また、ご供養・ご祈願とともに、コロナ禍が一刻も早く終息することも祈願いたしました。
お申込みいただきました皆様には「身代わり地蔵尊」のお札などを送付させていただいております。
例年であれば、お参り頂いた皆様と大数珠繰りを行い、また日頃の感謝を込めて手打ちそばのお接待をご用意しており、賑やかな一日になるはずでしたが、今年度も残念ながらコロナウイルス感染予防のため法要へのご参加をご遠慮いただいたため、境内も静かな法要となりました。
しかしながら、大変多くのお申し込みもいただき、無事に秋の行事を終えることができました。
これもひとえに、皆様方の日ごろの篤信の賜物と感謝申し上げる次第でございます。
次第に肌寒くなってまいりましたが、いまだ、コロナウイルス終息も見えぬ折柄、どうか皆様お体ご自愛くださいますようご祈念申し上げます。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
9月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
2022年盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
2022年盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2022年8月15日午前10時から、本堂において盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
密にならないよう対策を取ったうえで法要を無事終えることができました。
昨年より、境内の蓮の葉を使って、「水の子」というお供えをしています。
これは、洗ったお米と小さく切った旬の野菜(ナス、キュウリ)を水に浸し蓮の葉に乗せたものです。
餓鬼道は、生前、他の者に分け与えず、自分のみ貪欲にものを欲した強欲な者が陥る六道のうちの一つで、餓鬼になると口から火を噴き喉は針のように細く、飢えと渇きでどんなに食べ物を欲しても、目の前の食べ物は燃え尽き、喉も通らず、食べることができないという苦しみを味わいます。
その餓鬼にお供えするのが「水の子」です。
水に浸した洗米と小さく切ったナスやキュウリは、そうした餓鬼でも食べられるようにという心遣いからでしょうか。
なぜお盆に先祖供養をするようになったのか・・・
諸説ありますが、お盆の由来になった説の一つに『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』に説かれる目連尊者のお母さんのエピソードがあります。
神通力第一の木蓮尊者が、自分の亡くなった母が今はどうしているのだろうかと、神通力で冥界を見ると亡き母が餓鬼道に落ち、上記のような苦しみを受けていました。餓鬼道の苦しみは限りない・・・そこで木蓮尊者は釈尊に救済方法を尋ねました。
釈尊は答えるには、
「汝の母の罪は深く、汝一人の力では救うことは出来ないが、十方の衆僧の威神力(不思議な力)を頼めば救うことができよう。
7月15日はちょうど衆僧達の三ヶ月の仏道修行の最終日であり、修行中の自己を反省し、互いに懺悔滅罪する良い機会であるから、その時に盂蘭盆会を設けなさい。
盂蘭盆会は過去7世の父母及び現在の父母、また苦役のさなかにあるもののために供養を営む日です。
この功徳により未来は必ず三途(地獄・餓鬼・畜生)の苦を離れ楽土に生ずるでしょう」
そこで木蓮尊者は衆僧にお接待をし、亡き母のために祈ったところ、餓鬼道の苦を免れたそうです。
これが先祖供養を行うお盆の由来の一説です。
自分の母があの世で苦しんでいる姿をみた木蓮尊者はさぞ同じように苦しかったでしょう。
私たちは御先祖様の姿を見ることは出来ませんが、節目節目にご供養することで、御先祖様達が楽土にて楽しく過ごせてたらいいなぁと思います。
ちなみに施餓鬼(餓鬼の供養)については、また別のエピソードがあるのですが、それはまた来年のご紹介。
ある仏教哲学者はこのように言っています。
餓鬼とはおそらく、あくことを知らぬ人間の所有欲をあらわしているのであろう。
我々は皆、必ずしも死者の霊ではないけれども、餓鬼である。
死んだと思われるものを供養することによって、我々は我々自身を供養している。
「施餓鬼」とは、先祖供養とともに餓鬼にも施し供養することで、ご先祖様とともにご供養なさったご自身にもその功徳がめぐってまいります。
皆様方のご先祖様、そして皆様方に功徳がめぐるよう懸命に勤めさせていただきました。
このような時節柄ではありますが、一日も早くかけがえのない平穏な日常が戻りますように、お祈り申し上げます。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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今月の一言を更新しました。
教えの縦糸
心に織れば
結ぶご縁は 横の糸
人それぞれいろいろなご縁がありますが、一番のご縁は仏様と出会うこと。
でも「なかなか出会えんのー」と思っている方も多いのでは・・・
ある経典の一説に
「一切衆生 悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)」
という句があります。
この世に存在する全ての生きとし生けるもの(一切衆生)には
悉く(ことごとく)仏の智慧が備わっている(悉有仏性)
という意味で、これに気づくか気づかないかは本人の自覚次第なのです。
「なかなか出会えんのー」と思っているあなたのまわりには、仏さまでいっぱい。
それに気づかせていただける自分でありたいものです。
2022年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。
2022年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
77年目を迎えた8月6日午前8時15分
半鐘を打ち鳴らし、原爆投下や戦災によって亡くなられた物故者に黙とうを捧げ、慰霊法要を執り行いました。
以前、持明院がかつて爆心地から500mほどのところにあったこと、持明院にまつわる原爆の被害や、旧広島市立高等女学校の先生と生徒さん達との関係、そして当院の本尊様のお話をお伝えさせていただきました。
(過去ページ:原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要(2020年))
(過去ページ:2021年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。(2021年))
爆心地近くの中島町に、「広島市立高女原爆慰霊碑」があります。
広島市原爆関係の慰霊碑等の概要:平和記念公園 周辺ガイド:35 広島市立高女原爆慰霊碑より引用
実は、持明院の境内にも同じく、原爆で亡くなられたこの広島市立高等女学校の先生生徒さんのための「市女原爆追悼碑」があります。
市女とは、広島市立高等女学校の略称で、現在の広島市立舟入高等学校になります。
市女の1・2年生の生徒さんたちは、空爆による延焼を防ぐために、材木町~木挽町にて建物疎開の作業を前日8月5日より行っておりました。
そこは爆心地から500m。
頭上で突如として原爆がさく裂し、建物疎開の作業に来ていた生徒544人、職員8人の全員が亡くなられました。
また、この学校では他の動員先を含め、679人が被爆死し、市内の学校では最も多くの犠牲者がでたそうです。
過去ページにもありますように、持明院は当時、戸坂に移転する前は、この建物疎開の作業場所である平和公園前の現・中島町(旧木挽町)にありました。
持明院も手水鉢以外すべてを原爆によって失いました。その復興しているさなかに、お寺の境内地で多くの遺骨が見つかったため、その御霊を持明院にて安置・供養を行ったそうです。
1946年には被災地の中島町に木碑の供養塔が建てられ、現在ある「広島市立高女原爆慰霊碑」は1948年に学校の泰安殿跡の草山に建てられたものを移設したもので、当初の木碑供養塔は、そうしたご縁もあり1950年に持明院に移され、その後1951年には境内に「市女原爆慰霊碑」が広島市女原爆遺族会によって建立されました。
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「市女」「原爆」で検索すると中国新聞の
という記事を見つけました。
入学写真がクラスごとにあった2年生と違い、1年生は集合写真が撮影されなかったようです。
それだけでも悪化していく戦時下の状況が垣間見れるようです。
中国新聞では、遺族や生存者に協力を呼びかけ、当時1年生だった生徒の1人ひとりの遺影を捜し、生きたあかしと最期を追っています。
サイトには遺影とともに被爆状況や家族らの捜索状況が掲載されています。
1年生の学生さんたちは「憧れの市女」に入学したこと、新しいお友達や新たな学びに胸をワクワクドキドキさせながら新年度を迎えたに違いありません。受験して合格した喜び、家族の前でほほをほころばせながら憧れの制服にそでを通したこと、そうした様子も上記サイトの記載から感じ取れました。
入学後、結局は授業より勤労奉仕の方が多かったであろうこと、そしてその奉仕中に命を奪われたこと、学生らしい青春時代を謳歌できなかったこの時代・戦争の不幸は為政者ではなく民衆の上に影を落とすのだと実感します。
その1人1人の内容を読んでいくと、
市立造船工業学校教諭の父らが捜すが、遺骨は不明
応召の父に代わり、母が向かうが、遺骨は不明
自宅近くで背中一面にやけどをした県水産業会勤務の父が捜すが、遺骨は不明。
と、「遺骨は不明」という内容が多く並んでいました。
この「遺骨は不明」であった子たちのいくつかは旧持明院境内で見つかったものであったであろうと思います。
原爆が落ちてから、急いでわが子やわが妹を探し回った家族たち。勤務先や自宅が爆心地から近くけがを負っていた家族も多かったようですが、その怪我をおして惨禍の中を探し回った方も多かったようです。
爆心2・5キロの己斐駅近くで被爆した広陵中3年の兄昭四郎らが7日から捜すが、遺骨は不明。
「作業現場跡では、兵隊たちが死体を材木のように積み上げ油をかけて焼いていました。妹がいるのではと思い近づくと、作業がはかどらないからこらえてくれと許してもらえず…。その場を後にした時の悲しい、腹立たしい気持ちは忘れられません。
兄2人にもまれた妹は『大人びたのから幼稚なのまでいろんな子が集まっているから楽しい』と母頼子の母校でもある市女に喜んで通っていました」
房水道工事業の父三郎と母幸枝らが捜すが、遺骨は不明。
母に連れられて歩いた小学2年だった弟幸三は「防火水槽の中や焼け跡に倒れている死体を一人ずつ確かめながら、姉を捜しました。母が『川の方へ行ったんかねぇ』と向かった元安川は無数の死体が川面を埋め、見つけ出すことは無理でした。
翌年から、初めは木だった市女慰霊碑に母と欠かさず参っていました。昨年の夏は、兄夫婦と私の家族、米国にいる初孫ら10人が碑の前で午前8時15分を迎えました。8年前に逝った母の遺志を継ぐ者としての務めだと思っています」。
ヒロシマの記録-遺影は語る 広島市女1年より引用
何一つ痕跡を見つけ出すことが出来ないほど瞬時にして「生」を「無」にされてしまった虚無感や、こんな中でも何とか生きていてほしい…という希望も捨てきれず、想像を絶する惨禍の中、探し回ったのだと思います。
こうした「遺骨は不明」というのは、何年経ってもきっと残された遺族の皆様にとって心の整理をつけるのがとても難しかったに違いありません。
そう思うと、故人を送り出すお葬式というのは、残された者にとって、大切な儀式なのだと改めて感じます。
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戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、
平凡な生活の中に起きた現実であり、
決して過去の出来事として忘れ去ってはならない
「生」を奪われた人の無念、そして生き残った人も、苦しみを抱えながら生きていかなければなりません。戦争で死と直面し苦しむのは、為政者ではなく、今まで平凡に日々を送っていた、兵士や民衆です。
今年はウクライナ情勢が緊迫し、核使用を示唆するような声明もありました。
どうか8月6日のメッセージが為政者、兵士、民衆、世界の全ての人々に届きますように。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
8月1日13時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時(8月はお盆参りがあったため13時)より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
ご先祖さまが
年に一度の お里帰り
家族そろって おもてなし
いま我々がこの世に存在するのは
大自然の大きな命とご先祖様のおかげ
ということを忘れてはいけません。
ご先祖さまなくして我々は存在しえないのですから…
そのご先祖さまは普段は千の風に乗ってどこかに旅立たれていたとしても、お盆には故郷の我が家に、我がお墓にお里帰りされます。
日頃、日々の生活に追われ、私たちを育んでくれている大自然。
またこの世へ生まれさせていただいたご先祖さまへの感謝も忘れがちですが、せめてお盆くらいは家族そろって感謝の気持ちを伝えたいものです。
今月の一言を更新しました。
今月の一言を更新しました。
あーしてやった
こーしてやった は
恩着せ
させてもらう は
布施(ほどこし)
あーしてやったこーしてやった は 恩着せ
させてもらう は 布施(ほどこし)
与えたことには見返りを思うまい
日々の「ほどこし」のいつくしむ心が
恩着せによる愚痴をなくす
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
7月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
今月の一言を更新しました。
飯を食う
のではなく
ご飯をいただく
のです
今は何でもお金で買えます。
お金さえあれば何でもできます。
つい自分一人で生きているような錯覚におちいります。
でも作ってくれる人がいなければ、自分では何も作れません。
食べるもの 着るもの 住むところ・・・
目には見えずとも 感謝 感謝
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
6月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
5月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
今月の一言を更新しました。
辛抱は 心棒
耐える力を培おう
なにごとも、辛抱するというのは苦しいものです。
しかしながら、その辛抱を乗り越えれば、達成感や充実感が得られます。
それは、心の棒が太く強くなった証。
そうして辛抱を繰り返し、少しずつ太く強くなった心の棒は、多少の苦しみ、辛抱では折れなくなります。
そのような、耐える力を持った強い心の棒を育てたいものです。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
4月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
心 暗きとき 遭うところ
悉(ことごと)く禍(わざわい)なり
眼 明らかなれば
途(みち)にて触れて
皆 宝なり
~「弘法大師」お大師さまの教え~
曇りなき目で 物事を見よう
「心暗き」とは、お釈迦様が説かれた「無明(むみょう)」のこと。
「無明」とはこの世の道理に暗く明るくないということで、この世の苦しみ「一切皆苦(いっさいかいく)」の根源であるといわれており、
「此岸(しがん)」とはこのような状態の事を言います。
「眼明らか」とは、この世の道理に明るく理解自覚していることで、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を日々の生活の中で実践している状態です。
これを「彼岸(ひがん)」といいます。
物事全てが苦の元となる「此岸(しがん)」にいるよりも
曇りのない心眼で、遭遇するすべての事が宝と思える「彼岸(ひがん)」へ安住しましょう、とお大師さまは言っておられます。
今月の一言を更新しました。
2022年春季彼岸会ならびに春季地蔵尊大祭と桜の開花
2022年春季彼岸会ならびに春季地蔵尊大祭と桜の開花
こんにちは。持明院の寺嫁です。
今年は春のお彼岸の中日にあたる3月20日に春季彼岸会ならびに春季地蔵尊大祭を執り行いました。
この度もコロナウイルスの感染拡大を考慮して法要への参拝はご遠慮させていただき、僧侶のみで勤めさせていただきました。
皆様方に代わり、お申込みいただきました先祖・水子の供養や御祈願を、ご本尊「観音さま」と「お地蔵さま」に心よりお願い申し上げ、お勤めさせていただきましたので、ご安心いただければと思います。
寺内にて春の行事を無事終えることができましたのも、ひとえに皆様方の篤信の賜物と感謝申し上げます。
ところで桜も開花し、いよいよ春本番と言う今日この頃ですが、実は今年は桜が開花したのは大祭の3日前の3月17日。
それまではつぼみも固く閉じていたのですが、ここ数日訪れた春の陽気に誘われて、一気に枝がピンクに色づき、数輪開花したかと思うと、あっという間にお彼岸には7分咲きまで咲いてくれました。
今年の開花は遅いですねぇ・・・と毎日のようにぼやいていたのが桜に聞こえたのでしょうか。
それとも、お彼岸に見頃を合わせてくれたのでしょうか。
多くの方がお参りの際に桜を見上げたり、写真も撮ってくださったりしていただきました。
今はまだ、コロナ禍終息も見えぬ折柄ですが、それでも、桜とともに感じる春の訪れに心は軽やかになります。
早くコロナウイルスの感染拡大が収まり、春のように穏やかな日々が訪れるように…
どうか皆様方におかれましても、お体ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
お寺の日々あれこれ 一覧
広島県新四国八十八ヶ所24番札所
戸坂のお地蔵さん 広島 真言宗 持明院
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
2022年春季彼岸会と春季地蔵尊大祭のご案内
広島県新四国八十八ヶ所24番札所
戸坂のお地蔵さん 真言宗 持明院です。
毎年恒例の春季彼岸会と春季地蔵尊大祭を下記の通り厳修いたします。
ただし例年ですと、春季彼岸会ではお弁当のお接待、また両日ともにお参りいただきました皆様と大念珠繰りを行っておりましたが、本年も新型コロナウイルスの感染予防のため、昨年に引き続き当日の法要へのお参りは控えていただきたくお願い申し上げます。
なお、法要につきましては寺内にて僧侶のみで勤めさせていただき、お申込みいただきました方々には後日、施本ならびにお礼状をお送りいたします。
春季彼岸会ならびに春季地蔵尊大祭
日時:2022年3月20日 11時~
場所:当山本堂にて (詳しい場所はこちら)
護摩行にて、「檀家各家」ならびに「納骨堂」「共同墓」「もやいの碑」の先祖供養、水子供養と家内安全などの各種ご祈願を行います。
例年では、春季彼岸会と春季地蔵尊大祭は別日で行っておりましたが、本年は合わせて同日の2022年3月20日に執り行います。
お申込みは下記内容を電話またはファックスにて前日までにお申し込みください。
申込内容
先祖供養
- お名前
- ご住所
- 戒名またはご先祖名
各種ご祈願
- お名前
- ご住所
- 祈願の内容(家内安全・病気平癒・身体健康・良縁成就・合格祈願 など)
- 祈願の対象となる方の数え年
菩提寺の御本尊やお仏壇に手を合わせ、「ご供養」申し上げるということは、今の自分を生かしてくださっている「御仏さま」「ご先祖さま」に心から「おかげさん」という感謝の気持ちを表すことではないでしょうか。どうかこの機縁に「御仏さま」「ご先祖さま」との絆を深めていただければと思います。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」の供養を行いました。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
3月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
今月の一言を更新しました。
人は見えても
自分は見えない
我々は、人から傷つけられたり、迷惑をこうむることや、
また人が人に対しての言動にはよく気が付き見えるものですが、
いざ自分の言動が知らず知らずのうちに人を傷つけたり、
迷惑をかけていることも、ままあるという事には、あまり気づいていないことが多いようです。
「人の振り見て我が振り直せ」のことわざもあるように、
そういう時にこそ自分を振り返ってみることも大切なことではないでしょうか。
「灯台下暗し」とはよく言ったもので、
意外と「同じ穴の狢(むじな)」かもしれませんよ。
今月の一言を更新しました。
目は高く 頭は低く
心は広く 気は長く
「目を高く」とは 高い志を持つこと
「頭は低く」とは 常に謙虚で、感謝の気持ちを持つこと
「心は広く」とは 他を責めず、すべてを受け入れ、寛容であること
「気は長く」とは 焦らず、怒らず、いつまでも待てること
これは、功をなす人、人望高き人に備わっているものです。
せめてどれか一つでも身につけたいものです。