こんにちは。持明院の寺嫁です。
12月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
〒732-0009
広島県広島市東区戸坂千足1丁目12-27
TEL:082-229-2971
FAX:082-229-1919
こんにちは。持明院の寺嫁です。
12月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
11月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
10月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2024年9月22日午前11時から、本堂において秋季彼岸地蔵尊大祭を執り行いました。
22日未明には、ものすごい雷雨と猛風だったので心配しておりましたが、早朝には雨もやみ穏やかな天気に恵まれ、多くの方がお墓参りにいらっしゃっておりました。
法話では彼岸期間中には是非いつもより実践したい「六波羅蜜の教え」の中の一つ、「忍辱」についてお話させていただきました。
六波羅蜜とは修行法のことで、菩薩が仏になるために必要な徳になり、私達の日常生活の中でも実践できる仏道の修行法で6つの項目があります。
皆さま「彼岸」の意味をご存知でしょうか?
「彼岸」とは「悟りの境地」のことです。
梵語では「波羅」と表現され、六波羅蜜や般若心経にも「波羅」はよく登場しています。
私たちは生きている中で日々、悩みや苦しみに直面します。
その悩みや苦しみを少しでも取り除き、心安らかに過ごせるようにするための方法=教えの一つが「六波羅蜜」です。
そしてこれが、実践しようと思っても分かっていても難しい…!
日々修行なのですが、せめて年に二回のお彼岸の時期には、御先祖様に感謝のお墓参りをして六波羅蜜の教えをより意識して実践したいものです。
詳しくはこちら:彼岸と六波羅蜜
来春彼岸には、他の項目について詳しく法話をさせていただきますので、ぜひお越しください。
多くの供養・祈願のお申し込みを賜り、皆様方に代わりまして御本尊「観音さま」ならびに「お地蔵さま」に心よりご供養・ご祈願させていただきました。
寺内にて秋の行事を無事終えることができましたのも、ひとえに皆様方の篤信の賜と感謝申し上げる次第でございます。
お申込みいただきました皆様には「身代わり地蔵尊」のお札などを送付させていただいております。
朝晩次第に肌寒くなってまいりましたが、どうか皆様お体ご自愛くださいますようご祈念申し上げます。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
2024年8月15日午前10時から、本堂において盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
法要を通じて皆様方のご先祖様を敬う気持ちを感じとられて、ご先祖様も喜んでおられるのではないだろうかと思います。また、当院としてもありがたいお勤めをさせて頂いているなと感じました。
ご先祖供養は、今よりも厳しい時代を生き抜き、代々命のバトンを今に繋いでくれたことにたいして感謝を申し上げることです。
ご先祖様がいなければ今の豊かな現状はありません。
このお盆という期間は、それぞれのご先祖様そして先人達に思いをはせて感謝する機会にしていただければと思います。
また亡き人やお世話になった方々に感謝する「感謝」「おもいやり」の気持ちを持ってお勤めしていただければ、皆様も心安らかに過ごせるのではなかろうかと思います。
今年のお盆は大型連休でしたが、例年と変わらず多くの方がお盆お参りに来られていました。
お盆期間中は、色とりどりのお供え花と線香のにおい、そして行きかうお参りの方々の声で、墓地も賑やかでした。
今年はお盆前の8月8日に宮崎県で震度6弱があり、被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。
また、それに伴い8月15日まで南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)による特別な注意の呼びかけもあり、地域によっては大きな不安の中でお盆期間を過ごされた方々も多くおられた事と思います。
非常時には心の余裕がなくなりますが、お盆期間を通じてご先祖様に手を合わされて感謝しているときの心安らかな気持ちを思い出し、物や周りの人々に「おもいやり」の気持ちを持って接することを忘れずにいたいものです。
:::過去録:::
境内の蓮の葉を使った「水の子」というお供えのことと、お盆に先祖供養をするようになった由来についてご紹介させていただきました。
(2022年盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。)
「施餓鬼」について、ご紹介させていただいています。
(2023年盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。)
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
79年目を迎えた8月6日午前8時15分
半鐘を打ち鳴らし、原爆投下や戦災によって亡くなられた物故者に黙とうを捧げ、慰霊法要を執り行いました。
持明院には、戦時中、建物疎開作業のために、市内に学徒動員されていた旧広島市立高等女学校の先生生徒たちの遺骨が眠る「市女の慰霊碑」があります。
前日の5日には、我が家の子供たちに
原爆によって一瞬で失われた、そして苦しみながら亡くなっていった多くの人たちがいて、境内には戦争のために働いていた子供たちの慰霊碑があって、明日ご供養するために法要を行うから、安らかに眠れるよう綺麗にしようね
と言うことで、朝からゴシゴシと慰霊碑を綺麗にしました。
今年は79年目。来年で80年を迎えるにあたって、音楽で原爆犠牲者たちを追悼しようと被爆ピアノで戦没者・原爆犠牲者の慰霊碑市内全8区の206カ所を巡る企画があります。
2024年5月。持明院の市女の慰霊碑の前でも、被爆ピアノと合唱隊の方々によるコンサートが開かれました。
被爆ピアノの調べと合唱隊の皆様の美しい歌声が境内そして近隣へ響き渡りました。
慰霊碑は広島市内だけでも平和公園の原爆慰霊碑以外にも少なくとも206基あるそうです。2025年8月6日までにすべての慰霊碑の前で演奏を行う予定との事です。
持明院にある市女の慰霊碑は、爆心地で犠牲になられた先生生徒さんのための慰霊碑ですが(戦時中、持明院は爆心地から500mほどの所に位置していました)、中心部で原爆の被害にあった後に、治療のため各地域に運ばれて亡くなった方々も多くいらっしゃいます。
持明院近くの戸坂小学校もそうした救護所・火葬場の一つでした。
「慰霊」というと、原爆ドームや平和記念公園の印象が強いですが、
そうした中心地から外れた場所でも、
原爆投下後に被爆の被害に苦しみながら過ごした人々や、また治療のために奮闘した多くの医療関係者やご家族、尽力した市民の皆様の苦しみや悲しみがあったことを、
こうした各地に点在する慰霊碑を巡るこの被爆ピアノの慰霊碑コンサートを通じて、目を向ける機会を作られた素晴らしい企画だと思いました。
原爆ドームや平和記念公園は、「一瞬にして奪われた悲惨な世界」を物語る強いメッセージ性を持っていますが、
原爆投下後の世界には、投下された「一瞬」で終わらず、数年もの間苦しみながら亡くなった方も、亡くならずとも後遺症に苦しむ方も、我が子・我が親・我が夫・我が妻…我が家族を見送ることもできず失った喪失感、世界初の原子爆弾と言う未知ゆえからくる世間からの差別に悲しい思いをされた方などなど、「長く続く苦しみ」も多くあったことと思います。
地獄を作り出した、その「一瞬」とともに、その後に生まれた「長く続いた地獄」にも目を向けていきたいと思いました。
(過去ページ:原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要(2020年))
(過去ページ:2021年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
(過去ページ:2022年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
(過去ページ:2023年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
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戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、
平凡な生活の中に起きた現実であり、
決して過去の出来事として忘れ去ってはならない
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
8月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
7月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
6月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
5月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
今年は3月17日に春季地蔵尊大祭を執り行いました。
この度は檀信徒の皆様にご参拝いただき、ともに読経と大数珠繰りを行いました。
皆様方に代わり、お申込みいただきました先祖・水子の供養や御祈願を、ご本尊「観音さま」と「お地蔵さま」に心よりお願い申し上げ、お勤めさせていただきましたので、ご安心いただければと思います。
寺内にて春の行事を無事終えることができましたのも、ひとえに皆様方の篤信の賜物と感謝申し上げます。
ところで昨年は満開だった桜も、今年は一凛も開花していませんでした。
ふっくらとピンクの蕾が、しとしとと降る春雨に濡れて、淡い桜とは思えないほど深く濃い色に染まっていました。
この色を古人はなんと表現していたのだろうか、と調べてみれば…
この色が同じような色だな!と思ったのが「今様色」
今様色の「今」とは平安時代のこと。その当時の流行色だったそうです。
日本固有の伝統的な色名称は1100余(ウィキペディアより)あるそうで、かつての日本人がいかに自然を愛で、多くを感受していたか、その数から伺い知れます。
今の時代は忙しくて、ゆったりと自然を眺めながら色や風を感じたり、思案にふける時間を取ることがなかなか難しいですが、これから色彩豊かな春が来ます!
葉も花や、風に乗ってくる植物の香りや、小鳥の歌声や昆虫の羽音など、一気に賑やかになる春の空気を、足を止めて感じてみるのもいいかもしれません。
持明院の桜も彼岸が過ぎて少しづつ開花してきました。
時々、メジロが桜の蜜を吸いにやってきて、とてもかわいいです。
ぜひ、お参りの際には少し上を見上げて春を楽しまれてください。
未だ寒暖差の多い時節柄、どうぞお体ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
広島県新四国八十八ヶ所24番札所
戸坂のお地蔵さん 広島 真言宗 持明院
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
3月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
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11月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
10月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2023年9月23日午前11時から、本堂において秋季彼岸地蔵尊大祭を執り行いました。
入口付近のお地蔵様の前には、彼岸花が、この彼岸の日に合わせたかのように鮮やかに咲きました。
ほんの5日前頃から(まさに彼岸の入り頃)、芽が地中から伸びだして、あっという間に背が高くなり、彼岸の中日である23日にはたくさんの真っ赤な花が咲いたので、まさに「彼岸花」の名の通りだと毎年のように感心します。
当日は爽やかな良い天気に恵まれ、多くの方がお墓参りにいらっしゃっておりました。
多くの供養・祈願のお申し込みを賜り、皆様方に代わりまして御本尊「観音さま」ならびに「お地蔵さま」に心よりご供養・ご祈願させていただきました。
今年度は、コロナ禍のため中断していた皆様方の法要へのご参拝を再開でき、多くの檀信徒の皆様と念珠繰りや法要を一緒になって執り行えました。
また多くの申し込みをいただき寺内にて秋の行事を無事終えることができましたのも、ひとえに皆様方の篤信の賜と感謝申し上げる次第でございます。
お申込みいただきました皆様には「身代わり地蔵尊」のお札などを送付させていただいております。
朝晩次第に肌寒くなってまいりましたが、どうか皆様お体ご自愛くださいますようご祈念申し上げます。
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毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
9月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2023年8月15日午前10時から、本堂において盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
昨年は境内の蓮の葉を使った「水の子」というお供えのことと、お盆に先祖供養をするようになった由来についてご紹介させていただきました。
(2022年盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。)
そこで少し触れた「施餓鬼」について、本年は紹介させていただきさす。
本山では、お盆以外にも、春秋のお彼岸にも施餓鬼供養を行っています。
餓鬼は口から火を噴き、喉は針のように細く、飢えと渇きでどんなに食べ物を欲しても、目の前の食べ物は燃え尽き、喉も通らず、食べることができないという苦しみの中にいます。
水の子の、水に浸した洗米と小さく切ったナスやキュウリは、そうした餓鬼でも食べられるようにという心遣いからでしょう。
施餓鬼とは、実は餓鬼だけではなく、施餓鬼供養を通して無縁の霊などあまねく一切の全てに対しての供養もしているのです。
そして餓鬼や御先祖様を含む死者を供養することは、今を生きる我々に命のバトンを繋いで下さった御先祖様や先人に感謝を捧げ、我々自身にも善行を積まさせていただくことになり、それが巡り巡って功徳という形で顕れるといわれています。
たとえそうでなくとも、亡き人やお世話になった方々に感謝する「おもいやり」の気持ちを持って人や物に接すること、その輪が広がっていく事で争い事が減り安らかな社会になれるのではないでしょうか。
ある仏教哲学者はこのように言っています。
餓鬼とはおそらく、あくことを知らぬ人間の所有欲をあらわしているのであろう。
我々は皆、必ずしも死者の霊ではないけれども、餓鬼である。
死んだと思われるものを供養することによって、我々は我々自身を供養している。
この言葉にあるように、己の為だけに貪る心にとらわれてしまえば生きながらにして気付かぬうちに餓鬼道の苦しみを体験しているのかもしれません。
御先祖様や先人達はこの世にはいませんが、供養を通じて思いやりや感謝の気持ちを持つ機会を得ることにより、今を生きる我々は御先祖様や先人達によって人間らしく生かされているように思えます。
さて、今年のお盆も多くの方がお盆のお参りに来られていました。
お盆期間中は、色とりどりのお供え花と線香のにおい、そして行きかうお参りの方々の声で、墓地も賑やかでした。
特に、祖父母・親・子・孫と、いくつもの世代が一同に会する様子はなんだか楽しく幸せな気分になります。
その様子に御先祖様方も、「お、この時期が来たか来たか」とほくそ笑んでいるのではないでしょうか。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
78年目を迎えた8月6日午前8時15分
半鐘を打ち鳴らし、原爆投下や戦災によって亡くなられた物故者に黙とうを捧げ、慰霊法要を執り行いました。
夏休みに入る前に娘が、
「昔の先生は、生徒に戦争に行け、行って来いって言ってたんだって」
など、授業の平和学習で見聞きしてきた話を家庭でも何度か話してくれました。
また、今までは漠然としていた『戦争』という言葉の意味を徐々につかみだしたようで、テレビのニュースやアニメ(歌番組でエヴァンゲリオンの主題歌が流れたり・・・)で『戦争』というワードが出てくると、はっと息を呑むような、何かを感じたであろう静かな瞬間が訪れるようになりました。
8月6日の8時15分、78年前の、鐘を鳴らすこの瞬間に原爆がこの街に落ちたんだよ
それがきちんと小さな胸に響いているようで、静かに目を瞑り、手を合わせ黙とうを捧げ、その後の読経も、最後まで一緒になって一生懸命にお勤めしました。
幼稚園時代からぐっと成長した姿と、より具体的な内容になっているのだろう小学校の平和学習が子供の心にしっかりと届いていること、そこに未来の平和への一歩を垣間見たような気がしました。
(過去ページ:原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要(2020年))
(過去ページ:2021年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
(過去ページ:2022年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
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戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、
平凡な生活の中に起きた現実であり、
決して過去の出来事として忘れ去ってはならない
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
7月3日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
6月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
5月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
今年は3月19日に春季地蔵尊大祭、3月21日に春季彼岸施餓鬼会を執り行いました。
この度もコロナウイルスの感染拡大を考慮して法要への参拝はご遠慮させていただき、僧侶のみで勤めさせていただきました。
皆様方に代わり、お申込みいただきました先祖・水子の供養や御祈願を、ご本尊「観音さま」と「お地蔵さま」に心よりお願い申し上げ、お勤めさせていただきましたので、ご安心いただければと思います。
寺内にて春の行事を無事終えることができましたのも、ひとえに皆様方の篤信の賜物と感謝申し上げます。
ところで今年も春彼岸に合わせて一気に桜が開花しました。
彼岸大祭の両日ともすっきりとした青空と桜の淡いピンク色のコントラストが美しかったです。
多くの方がお参りの際に桜を見上げてくださり、そして桜の下で写真を撮られる通りすがりの方も多く、桜を楽しまれておりました。
つぼみの時にはいつ咲くかな?という待ち遠し気持ちに
一輪開花すれば、あっ、咲いている!と幸せな気持ちに
満開になれば、華やかで賑やか、そしてすがすがしく
散り際は、儚くその中に美しさを感じ
散り終われば、新たな新緑の芽吹きに次の季節の到来を感じて心が躍り
これほどまでに見る人の心が移り変わっていく樹木もなかなかないなぁと感じます。
まさに諸行無常を短期間に凝縮しているようです。
そして3月からは、withコロナで世の中も落ち着き、コロナ禍の「禍」がなくなりました。
コロナウイルスがなくなったわけではないので感染には今後も気を付けていかねばなりませんが、少しだけ4年前の春のように穏やかな日々が訪れるのかなと、春の訪れを告げる桜とともに心が軽やかになってきました。
皆様方におかれましても、すてきな春が訪れますように。
未だ寒暖差の多い時節柄、どうぞお体ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
広島県新四国八十八ヶ所24番札所
戸坂のお地蔵さん 広島 真言宗 持明院
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
3月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
12月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
11月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
10月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2022年9月23日午前11時から、本堂において秋季彼岸地蔵尊大祭を執り行いました。
19日にはとても大きな台風が日本列島を横断するとのことで心配していましたが、広島市内には大きな被害もなく、当日は爽やかな良い天気に恵まれ、多くの方がお墓参りにいらっしゃっておりました。
多くの供養・祈願のお申し込みを賜り、皆様方に代わりまして御本尊「観音さま」ならびに「お地蔵さま」に心よりご供養・ご祈願させていただきました。
また、ご供養・ご祈願とともに、コロナ禍が一刻も早く終息することも祈願いたしました。
お申込みいただきました皆様には「身代わり地蔵尊」のお札などを送付させていただいております。
例年であれば、お参り頂いた皆様と大数珠繰りを行い、また日頃の感謝を込めて手打ちそばのお接待をご用意しており、賑やかな一日になるはずでしたが、今年度も残念ながらコロナウイルス感染予防のため法要へのご参加をご遠慮いただいたため、境内も静かな法要となりました。
しかしながら、大変多くのお申し込みもいただき、無事に秋の行事を終えることができました。
これもひとえに、皆様方の日ごろの篤信の賜物と感謝申し上げる次第でございます。
次第に肌寒くなってまいりましたが、いまだ、コロナウイルス終息も見えぬ折柄、どうか皆様お体ご自愛くださいますようご祈念申し上げます。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
─────────────────
こんにちは。持明院の寺嫁です。
9月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
2022年8月15日午前10時から、本堂において盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
密にならないよう対策を取ったうえで法要を無事終えることができました。
昨年より、境内の蓮の葉を使って、「水の子」というお供えをしています。
これは、洗ったお米と小さく切った旬の野菜(ナス、キュウリ)を水に浸し蓮の葉に乗せたものです。
餓鬼道は、生前、他の者に分け与えず、自分のみ貪欲にものを欲した強欲な者が陥る六道のうちの一つで、餓鬼になると口から火を噴き喉は針のように細く、飢えと渇きでどんなに食べ物を欲しても、目の前の食べ物は燃え尽き、喉も通らず、食べることができないという苦しみを味わいます。
その餓鬼にお供えするのが「水の子」です。
水に浸した洗米と小さく切ったナスやキュウリは、そうした餓鬼でも食べられるようにという心遣いからでしょうか。
なぜお盆に先祖供養をするようになったのか・・・
諸説ありますが、お盆の由来になった説の一つに『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』に説かれる目連尊者のお母さんのエピソードがあります。
神通力第一の木蓮尊者が、自分の亡くなった母が今はどうしているのだろうかと、神通力で冥界を見ると亡き母が餓鬼道に落ち、上記のような苦しみを受けていました。餓鬼道の苦しみは限りない・・・そこで木蓮尊者は釈尊に救済方法を尋ねました。
釈尊は答えるには、
「汝の母の罪は深く、汝一人の力では救うことは出来ないが、十方の衆僧の威神力(不思議な力)を頼めば救うことができよう。
7月15日はちょうど衆僧達の三ヶ月の仏道修行の最終日であり、修行中の自己を反省し、互いに懺悔滅罪する良い機会であるから、その時に盂蘭盆会を設けなさい。
盂蘭盆会は過去7世の父母及び現在の父母、また苦役のさなかにあるもののために供養を営む日です。
この功徳により未来は必ず三途(地獄・餓鬼・畜生)の苦を離れ楽土に生ずるでしょう」
そこで木蓮尊者は衆僧にお接待をし、亡き母のために祈ったところ、餓鬼道の苦を免れたそうです。
これが先祖供養を行うお盆の由来の一説です。
自分の母があの世で苦しんでいる姿をみた木蓮尊者はさぞ同じように苦しかったでしょう。
私たちは御先祖様の姿を見ることは出来ませんが、節目節目にご供養することで、御先祖様達が楽土にて楽しく過ごせてたらいいなぁと思います。
ちなみに施餓鬼(餓鬼の供養)については、また別のエピソードがあるのですが、それはまた来年のご紹介。
ある仏教哲学者はこのように言っています。
餓鬼とはおそらく、あくことを知らぬ人間の所有欲をあらわしているのであろう。
我々は皆、必ずしも死者の霊ではないけれども、餓鬼である。
死んだと思われるものを供養することによって、我々は我々自身を供養している。
「施餓鬼」とは、先祖供養とともに餓鬼にも施し供養することで、ご先祖様とともにご供養なさったご自身にもその功徳がめぐってまいります。
皆様方のご先祖様、そして皆様方に功徳がめぐるよう懸命に勤めさせていただきました。
このような時節柄ではありますが、一日も早くかけがえのない平穏な日常が戻りますように、お祈り申し上げます。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
77年目を迎えた8月6日午前8時15分
半鐘を打ち鳴らし、原爆投下や戦災によって亡くなられた物故者に黙とうを捧げ、慰霊法要を執り行いました。
以前、持明院がかつて爆心地から500mほどのところにあったこと、持明院にまつわる原爆の被害や、旧広島市立高等女学校の先生と生徒さん達との関係、そして当院の本尊様のお話をお伝えさせていただきました。
(過去ページ:原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要(2020年))
(過去ページ:2021年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。(2021年))
爆心地近くの中島町に、「広島市立高女原爆慰霊碑」があります。
広島市原爆関係の慰霊碑等の概要:平和記念公園 周辺ガイド:35 広島市立高女原爆慰霊碑より引用
実は、持明院の境内にも同じく、原爆で亡くなられたこの広島市立高等女学校の先生生徒さんのための「市女原爆追悼碑」があります。
市女とは、広島市立高等女学校の略称で、現在の広島市立舟入高等学校になります。
市女の1・2年生の生徒さんたちは、空爆による延焼を防ぐために、材木町~木挽町にて建物疎開の作業を前日8月5日より行っておりました。
そこは爆心地から500m。
頭上で突如として原爆がさく裂し、建物疎開の作業に来ていた生徒544人、職員8人の全員が亡くなられました。
また、この学校では他の動員先を含め、679人が被爆死し、市内の学校では最も多くの犠牲者がでたそうです。
過去ページにもありますように、持明院は当時、戸坂に移転する前は、この建物疎開の作業場所である平和公園前の現・中島町(旧木挽町)にありました。
持明院も手水鉢以外すべてを原爆によって失いました。その復興しているさなかに、お寺の境内地で多くの遺骨が見つかったため、その御霊を持明院にて安置・供養を行ったそうです。
1946年には被災地の中島町に木碑の供養塔が建てられ、現在ある「広島市立高女原爆慰霊碑」は1948年に学校の泰安殿跡の草山に建てられたものを移設したもので、当初の木碑供養塔は、そうしたご縁もあり1950年に持明院に移され、その後1951年には境内に「市女原爆慰霊碑」が広島市女原爆遺族会によって建立されました。
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「市女」「原爆」で検索すると中国新聞の
という記事を見つけました。
入学写真がクラスごとにあった2年生と違い、1年生は集合写真が撮影されなかったようです。
それだけでも悪化していく戦時下の状況が垣間見れるようです。
中国新聞では、遺族や生存者に協力を呼びかけ、当時1年生だった生徒の1人ひとりの遺影を捜し、生きたあかしと最期を追っています。
サイトには遺影とともに被爆状況や家族らの捜索状況が掲載されています。
1年生の学生さんたちは「憧れの市女」に入学したこと、新しいお友達や新たな学びに胸をワクワクドキドキさせながら新年度を迎えたに違いありません。受験して合格した喜び、家族の前でほほをほころばせながら憧れの制服にそでを通したこと、そうした様子も上記サイトの記載から感じ取れました。
入学後、結局は授業より勤労奉仕の方が多かったであろうこと、そしてその奉仕中に命を奪われたこと、学生らしい青春時代を謳歌できなかったこの時代・戦争の不幸は為政者ではなく民衆の上に影を落とすのだと実感します。
その1人1人の内容を読んでいくと、
市立造船工業学校教諭の父らが捜すが、遺骨は不明
応召の父に代わり、母が向かうが、遺骨は不明
自宅近くで背中一面にやけどをした県水産業会勤務の父が捜すが、遺骨は不明。
と、「遺骨は不明」という内容が多く並んでいました。
この「遺骨は不明」であった子たちのいくつかは旧持明院境内で見つかったものであったであろうと思います。
原爆が落ちてから、急いでわが子やわが妹を探し回った家族たち。勤務先や自宅が爆心地から近くけがを負っていた家族も多かったようですが、その怪我をおして惨禍の中を探し回った方も多かったようです。
爆心2・5キロの己斐駅近くで被爆した広陵中3年の兄昭四郎らが7日から捜すが、遺骨は不明。
「作業現場跡では、兵隊たちが死体を材木のように積み上げ油をかけて焼いていました。妹がいるのではと思い近づくと、作業がはかどらないからこらえてくれと許してもらえず…。その場を後にした時の悲しい、腹立たしい気持ちは忘れられません。
兄2人にもまれた妹は『大人びたのから幼稚なのまでいろんな子が集まっているから楽しい』と母頼子の母校でもある市女に喜んで通っていました」
房水道工事業の父三郎と母幸枝らが捜すが、遺骨は不明。
母に連れられて歩いた小学2年だった弟幸三は「防火水槽の中や焼け跡に倒れている死体を一人ずつ確かめながら、姉を捜しました。母が『川の方へ行ったんかねぇ』と向かった元安川は無数の死体が川面を埋め、見つけ出すことは無理でした。
翌年から、初めは木だった市女慰霊碑に母と欠かさず参っていました。昨年の夏は、兄夫婦と私の家族、米国にいる初孫ら10人が碑の前で午前8時15分を迎えました。8年前に逝った母の遺志を継ぐ者としての務めだと思っています」。
ヒロシマの記録-遺影は語る 広島市女1年より引用
何一つ痕跡を見つけ出すことが出来ないほど瞬時にして「生」を「無」にされてしまった虚無感や、こんな中でも何とか生きていてほしい…という希望も捨てきれず、想像を絶する惨禍の中、探し回ったのだと思います。
こうした「遺骨は不明」というのは、何年経ってもきっと残された遺族の皆様にとって心の整理をつけるのがとても難しかったに違いありません。
そう思うと、故人を送り出すお葬式というのは、残された者にとって、大切な儀式なのだと改めて感じます。
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戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、
平凡な生活の中に起きた現実であり、
決して過去の出来事として忘れ去ってはならない
「生」を奪われた人の無念、そして生き残った人も、苦しみを抱えながら生きていかなければなりません。戦争で死と直面し苦しむのは、為政者ではなく、今まで平凡に日々を送っていた、兵士や民衆です。
今年はウクライナ情勢が緊迫し、核使用を示唆するような声明もありました。
どうか8月6日のメッセージが為政者、兵士、民衆、世界の全ての人々に届きますように。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
8月1日13時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時(8月はお盆参りがあったため13時)より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
7月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
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6月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
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5月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
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4月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
こんにちは。持明院の寺嫁です。
今年は春のお彼岸の中日にあたる3月20日に春季彼岸会ならびに春季地蔵尊大祭を執り行いました。
この度もコロナウイルスの感染拡大を考慮して法要への参拝はご遠慮させていただき、僧侶のみで勤めさせていただきました。
皆様方に代わり、お申込みいただきました先祖・水子の供養や御祈願を、ご本尊「観音さま」と「お地蔵さま」に心よりお願い申し上げ、お勤めさせていただきましたので、ご安心いただければと思います。
寺内にて春の行事を無事終えることができましたのも、ひとえに皆様方の篤信の賜物と感謝申し上げます。
ところで桜も開花し、いよいよ春本番と言う今日この頃ですが、実は今年は桜が開花したのは大祭の3日前の3月17日。
それまではつぼみも固く閉じていたのですが、ここ数日訪れた春の陽気に誘われて、一気に枝がピンクに色づき、数輪開花したかと思うと、あっという間にお彼岸には7分咲きまで咲いてくれました。
今年の開花は遅いですねぇ・・・と毎日のようにぼやいていたのが桜に聞こえたのでしょうか。
それとも、お彼岸に見頃を合わせてくれたのでしょうか。
多くの方がお参りの際に桜を見上げたり、写真も撮ってくださったりしていただきました。
今はまだ、コロナ禍終息も見えぬ折柄ですが、それでも、桜とともに感じる春の訪れに心は軽やかになります。
早くコロナウイルスの感染拡大が収まり、春のように穏やかな日々が訪れるように…
どうか皆様方におかれましても、お体ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
お寺の日々あれこれ 一覧
広島県新四国八十八ヶ所24番札所
戸坂のお地蔵さん 広島 真言宗 持明院
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毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
3月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
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12月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
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当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
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11月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
2021年9月23日午前11時から、本堂において秋季彼岸地蔵尊大祭を執り行いました。
多くの供養・祈願のお申し込みを賜り、皆様方に代わりまして御本尊「観音さま」ならびに「お地蔵さま」に心よりご供養・ご祈願させていただきました。
また、ご供養・ご祈願とともに、コロナ禍が一刻も早く終息することも祈願いたしました。
お申込みいただきました皆様には「身代わり地蔵尊」のお札などを送付させていただいております。
例年であれば、お参り頂いた皆様と大数珠繰りを行い、また日頃の感謝を込めて手打ちそばのお接待をご用意しており、賑やかな一日になるはずでしたが、今年度も残念ながらコロナウイルス感染予防のため法要へのご参加をご遠慮いただいたため、境内も閑散とし静かな法要となりました。
しかしながら、当日は今までの残暑が嘘のような爽やかな秋晴れのとなり、無事に秋の行事を終えることができました。
これもひとえに、皆様方の日ごろの篤信の賜物と感謝申し上げる次第でございます。
次第に肌寒くなってまいりましたが、いまだ、コロナウイルス終息も見えぬ折柄、どうか皆様お体ご自愛くださいますようご祈念申し上げます。
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9月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
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2021年8月15日午前10時から、本堂において盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
密にならないよう対策を取ったうえで法要を無事終えることができました。
今年は、境内の蓮の葉を使って、「水の子」というお供えをしました。
これは、洗ったお米と小さく切った旬の野菜(ナス、キュウリ)を水に浸し蓮の葉に乗せたものです。
餓鬼道は、生前、他の者に分け与えず、自分のみ貪欲にものを欲した強欲な者が陥る六道のうちの一つで、餓鬼になると口から火を噴き喉は針のように細く、飢えと渇きでどんなに食べ物を欲しても、目の前の食べ物は燃え尽き、喉も通らず、食べることができないという苦しみを味わいます。
その餓鬼にお供えするのが「水の子」です。
水に浸した洗米と小さく切ったナスやキュウリは、そうした餓鬼でも食べられるようにという心遣いからでしょうか。
「施餓鬼」とは、先祖供養とともに餓鬼にも施し供養することで、ご先祖様とともにご供養なさったご自身にもその功徳がめぐってまいります。
皆様方のご先祖様、そして皆様方に功徳がめぐるよう懸命に勤めさせていただきました。
このような時節柄ではありますが、一日も早くかけがえのない平穏な日常が戻りますように、お祈り申し上げます。
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こんにちは。持明院の寺嫁です。
8月6日午前8時15分
半鐘を打ち鳴らし、原爆投下や戦災によって亡くなられた物故者に黙とうを捧げ、慰霊法要を執り行いました。
昨年は、持明院がかつて爆心地から500mほどのところにあったこと、持明院にまつわる原爆の被害や、旧広島市立高等女学校の先生と生徒さん達との関係、そして当院の本尊様のお話をお伝えさせていただきました。
(過去ページ:原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要(2020年))
私はその文章の最後を、こう締めくくりました。
戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、
平凡な生活の中に起きた現実であり、
決して過去の出来事として忘れ去ってはならない
それは広島市に嫁いでから、ひどくそれを実感したことがあったからです。
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私は、広島県の隣県、山口県の出身です。
副住職の話によりますと、広島県では平和学習に多くの時間を割き深く学習してきたそうですが、山口県で育った筆者としては隣県ではありますが、残念ながらそれほど多くの時間を平和学習に割いていた記憶がありません。
世界で初めて投下されたその爆弾がどれほどの悲劇を生み出してきたのか…
もちろん、それは日本人として、学び、見聞きしてきたので知ってはいますが、
—身近に感じていたか
というと、やはり大きく「はい!」と言えるほど実感は伴っていませんでした。
そんな中、「この悲劇は平凡な日常に起きた現実だったのだ」と深く実感した出来事が二つありました。
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一つは、ご縁をいただき、広島市にあるお寺に嫁いだこと、そして主人(副住職)の曽祖父が原爆で亡くなっている、ということです。
嫁いで間もなく、境内にある幾多のお墓に同じ日付、「昭和二十年八月六日没」の文字が刻まれていることに気づきました。
そして、嫁いだ最初の夏、8月6日の法要の後、住職(父)と母が、原爆で亡くなった1945年当時の住職(曾祖父)の話を聞かせてくださいました。
「身内」が原爆で亡くなった、ということは、「物語」から「現実」へと強く私をいざないました。そして、命は助かったものの、戦後一瞬にしてすべてを失い、残された祖父母の壮絶な戦後にも思いをはせました。
今、自分がここにあるのもすべてが、その過去とつながっているのだと思うと感慨深く感じました。
二つ目は、昨年、NHK広島放送局が企画した、被爆75年企画「1945ひろしまタイムライン」を見たことです。
これは、戦争の記憶が薄れつつある中、若い世代に被爆体験を継承し、戦争の時代の社会状況についてリアリティーをもって伝え、考えていただくことを目的とし、当時を生きた3人(新聞記者の一郎さん、主婦のやすこさん、中学1年のシュン君)の実際の日記をもとに、もし当時Twitterがあったらどんなツイートをするか、という発想で行われたものです。
8月6日までは、「戦時下での日常」がツイートされていました。
それだけでも興味深く読んでいたのですが、8月に入ってからはドキドキが止まりませんでした。
ついに迎えた8月6日の朝は、もう心臓が喉から飛び出しそうなほどでした。
特にシュン君は、その日の早朝より、先生から頼まれたお使いのため、疎開先から広島市内に向かうことになっていたのも、筆者の緊張を大きくしていました。
8時15分、副住職が打ち鳴らした半鐘を聞くと、筆者の頭の中は1945年のあの時にタイムスリップしました。まさに、企画の意図通り、筆者は実に強いリアリティをもってこの日この瞬間を迎えました。
それ以降、8月6日の3人のツイートには、時間とともに、大きな混乱と、そして地獄の描写が続きます。
日常の中に、たくさんの死体や全身が爛れながらも彷徨い苦しむ人々、未知がゆえに生まれる大きな不安や混乱が突如、嵐のように舞い込みます。
この企画はツイートという「時間軸」を作ることで、筆者の中に、今まで見聞きした「物語」から、「現実」と「臨場感」を強い色彩をもって加えました。
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今年も迎えた8月6日。
刺すような強い日差しと晴れ渡った広い青空。
76年前もこんな青空だったのかな…と、見上げた青空に、当時は爆音とともに突如としてこの青空に現れた、謎のきのこ雲から始まった非日常に思いを馳せ、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに当たり前のように過ごせる今日の平和な日常を感謝しました。
戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、
平凡な生活の中に起きた現実であり、
決して過去の出来事として忘れ去ってはならない
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7月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養は毎月1日10時より、もやいの碑の前で勤めさせていただいております。
当山が永代にわたり、ご供養させていただきます。
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6月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
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5月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
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春のお彼岸の中日にあたる3月20日に春季彼岸会施餓鬼供養を、また3月21日に春季地蔵尊大祭を執り行いました。
この度もコロナウイルスの感染拡大を考慮して法要への参拝はご遠慮させていただき、僧侶のみで勤めさせていただきました。
皆様方に代わり、お申込みいただきました先祖・水子の供養や御祈願を、ご本尊「観音さま」と「お地蔵様」に心よりお願い申し上げ、お勤めさせていただきましたので、ご安心いただければと思います。
寺内にて春の行事を無事終えることができましたのも、ひとえに皆様方の篤信の賜物と感謝申し上げます。
桜も開花し、いよいよ春本番と言う今日この頃ですが、当日は共にあいにくの天気で、満開の枝垂れ桜も散りはじめ、このコロナ禍で大変な状況を、まるで御仏様が悲しんでおられるかのようでした。
早くコロナウイルスの感染拡大が収まり、平穏な日々が訪れるように…
コロナ禍終息も見えぬ折柄、どうか皆様方におかれましても、お体ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
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3月1日10時より、永代供養合同墓「もやいの碑」のご供養を行いました。
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