こんにちは。持明院の寺嫁です。
79年目を迎えた8月6日午前8時15分
半鐘を打ち鳴らし、原爆投下や戦災によって亡くなられた物故者に黙とうを捧げ、慰霊法要を執り行いました。
持明院には、戦時中、建物疎開作業のために、市内に学徒動員されていた旧広島市立高等女学校の先生生徒たちの遺骨が眠る「市女の慰霊碑」があります。
前日の5日には、我が家の子供たちに
原爆によって一瞬で失われた、そして苦しみながら亡くなっていった多くの人たちがいて、境内には戦争のために働いていた子供たちの慰霊碑があって、明日ご供養するために法要を行うから、安らかに眠れるよう綺麗にしようね
と言うことで、朝からゴシゴシと慰霊碑を綺麗にしました。
今年は79年目。来年で80年を迎えるにあたって、音楽で原爆犠牲者たちを追悼しようと被爆ピアノで戦没者・原爆犠牲者の慰霊碑市内全8区の206カ所を巡る企画があります。
2024年5月。持明院の市女の慰霊碑の前でも、被爆ピアノと合唱隊の方々によるコンサートが開かれました。
被爆ピアノの調べと合唱隊の皆様の美しい歌声が境内そして近隣へ響き渡りました。
慰霊碑は広島市内だけでも平和公園の原爆慰霊碑以外にも少なくとも206基あるそうです。2025年8月6日までにすべての慰霊碑の前で演奏を行う予定との事です。
持明院にある市女の慰霊碑は、爆心地で犠牲になられた先生生徒さんのための慰霊碑ですが(戦時中、持明院は爆心地から500mほどの所に位置していました)、中心部で原爆の被害にあった後に、治療のため各地域に運ばれて亡くなった方々も多くいらっしゃいます。
持明院近くの戸坂小学校もそうした救護所・火葬場の一つでした。
「慰霊」というと、原爆ドームや平和記念公園の印象が強いですが、
そうした中心地から外れた場所でも、
原爆投下後に被爆の被害に苦しみながら過ごした人々や、また治療のために奮闘した多くの医療関係者やご家族、尽力した市民の皆様の苦しみや悲しみがあったことを、
こうした各地に点在する慰霊碑を巡るこの被爆ピアノの慰霊碑コンサートを通じて、目を向ける機会を作られた素晴らしい企画だと思いました。
原爆ドームや平和記念公園は、「一瞬にして奪われた悲惨な世界」を物語る強いメッセージ性を持っていますが、
原爆投下後の世界には、投下された「一瞬」で終わらず、数年もの間苦しみながら亡くなった方も、亡くならずとも後遺症に苦しむ方も、我が子・我が親・我が夫・我が妻…我が家族を見送ることもできず失った喪失感、世界初の原子爆弾と言う未知ゆえからくる世間からの差別に悲しい思いをされた方などなど、「長く続く苦しみ」も多くあったことと思います。
地獄を作り出した、その「一瞬」とともに、その後に生まれた「長く続いた地獄」にも目を向けていきたいと思いました。
(過去ページ:原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要(2020年))
(過去ページ:2021年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
(過去ページ:2022年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
(過去ページ:2023年 原爆犠牲者・戦災死没者 慰霊法要を執り行いました。)
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戦争によって生まれた多くの悲しみや原爆の悲惨さは、
平凡な生活の中に起きた現実であり、
決して過去の出来事として忘れ去ってはならない
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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