こんにちは。持明院の寺嫁です。
2023年8月15日午前10時から、本堂において盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。
昨年は境内の蓮の葉を使った「水の子」というお供えのことと、お盆に先祖供養をするようになった由来についてご紹介させていただきました。
(2022年盂蘭盆会施餓鬼お位牌供養法会を執り行いました。)
そこで少し触れた「施餓鬼」について、本年は紹介させていただきさす。
本山では、お盆以外にも、春秋のお彼岸にも施餓鬼供養を行っています。
餓鬼は口から火を噴き、喉は針のように細く、飢えと渇きでどんなに食べ物を欲しても、目の前の食べ物は燃え尽き、喉も通らず、食べることができないという苦しみの中にいます。
水の子の、水に浸した洗米と小さく切ったナスやキュウリは、そうした餓鬼でも食べられるようにという心遣いからでしょう。
施餓鬼とは、実は餓鬼だけではなく、施餓鬼供養を通して無縁の霊などあまねく一切の全てに対しての供養もしているのです。
そして餓鬼や御先祖様を含む死者を供養することは、今を生きる我々に命のバトンを繋いで下さった御先祖様や先人に感謝を捧げ、我々自身にも善行を積まさせていただくことになり、それが巡り巡って功徳という形で顕れるといわれています。
たとえそうでなくとも、亡き人やお世話になった方々に感謝する「おもいやり」の気持ちを持って人や物に接すること、その輪が広がっていく事で争い事が減り安らかな社会になれるのではないでしょうか。
ある仏教哲学者はこのように言っています。
餓鬼とはおそらく、あくことを知らぬ人間の所有欲をあらわしているのであろう。
我々は皆、必ずしも死者の霊ではないけれども、餓鬼である。
死んだと思われるものを供養することによって、我々は我々自身を供養している。
この言葉にあるように、己の為だけに貪る心にとらわれてしまえば生きながらにして気付かぬうちに餓鬼道の苦しみを体験しているのかもしれません。
御先祖様や先人達はこの世にはいませんが、供養を通じて思いやりや感謝の気持ちを持つ機会を得ることにより、今を生きる我々は御先祖様や先人達によって人間らしく生かされているように思えます。
さて、今年のお盆も多くの方がお盆のお参りに来られていました。
お盆期間中は、色とりどりのお供え花と線香のにおい、そして行きかうお参りの方々の声で、墓地も賑やかでした。
特に、祖父母・親・子・孫と、いくつもの世代が一同に会する様子はなんだか楽しく幸せな気分になります。
その様子に御先祖様方も、「お、この時期が来たか来たか」とほくそ笑んでいるのではないでしょうか。
───── お知らせ ─────
毎月24日はお地蔵さまとご縁を結べる縁日です。
11時から本堂にて護摩を焚き、ご供養ご祈願をしております。
お気軽にお参りください。
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